価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習
。私の美醜の基準は、明らかにいままで読んだ小説や漫画に由来しているよ。
精神的な背骨がある人は、自分が間違えることをだいたい許容できる。
一方、精神的な背骨が無い人は、いかなる間違いも許容できない。
表現者は、外の世界に自分の考えや思いを問うのがその存在意義だ。外に問うということは反論を食らうということなので、皮膚は破れ、肉は断たれる。でも、骨は守る。
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